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FRAGRANCE IS BLOG 更新終了。

2011年10月から競走馬の話題を中心に投稿してきました、「FRAGRANCEROSAS IS BLOG」ですが、本年の4月24日の投稿分を持つて、終了しました。

今後は、「NEW FRAGRANCEROSAS S’ BLOG」にて投稿・更新させていただきたいと想い願っております。

長い間、ありがとうございました、今後共、よろしくお願いします。

2017年5月18日(木曜日)

FRAGRANCEROSAS(フレグランスローザス)

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BELIEVE ビリーヴ、牝・19歳の現在も、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・ミッドウェイの、レーンズエンドファーム・オークリースタッドで繁殖牝馬として生活を送る、牝馬のサラブレッド。

BELIEVE ビリーヴ

 

BELIEVE「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

BELIEVE「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

BELIEVE「パカッ。」

BELIEVE「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ビリーヴとは、イギリス語で信念という意味。

 

サンデーサイレンスと、グレートクリスティーヌの仔として、生まれた、鹿毛の女の子のサラブレッド、それが、ビリーヴです。

BELIEVE「ヒュヒュヒュ ヒュ~ン。」

2017年・アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・ミッドウエイ。

ここにある、LAN S END(レーンズエンドファーム)・OAKLEE STUD(オークリースタッド)に、2004年から繁殖牝馬として繋養生活を送っている、ビリーヴは、明け19歳になりました。

BELIEVE「ヒュヒュヒュ~ン。」

ビリーヴは、大きいいななきで、叫ぶ女の子の馬です。

BELIEVE「ヒュヒュヒュ~ン。」

ビリーヴは、ケンタッキーの大地で、首を揺らしながら、蹄を鳴らす馬です。

BELIEVE「ブルルルルルルルル。」

 

ビリーヴは、大きい鼻息を鳴らしては、ケンタッキーの大地で、過ごしていました。

ビリーヴが、レーンズエンドファーム・オークリースタッドに来たのは、2003年の事で、当時・大山ヒルズにて、休養を兼ねて繁殖牝馬として繋養生活を送る為の検疫検査を受けた後、千葉県・成田市の新東京国際空港に長い道のりでの移動の末、到着しました。

ビリーヴは、ヘルメットを着け、ストールに積み込まれ、ストールごと、飛行機に積み込まれました。

 

ビリーヴは、飛行機で新東京国際空港をはなれ、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・ミッドウエイの、レーンズエンド・オークリースタッドへ、二度と帰らぬ日本を後に、旅に出ました。

ビリーヴは、長い渡航を終えて、アメリカ・ケンタッキー州・ブルーグラス国際空港に着陸し、ここで飛行機をストールごと降し、ストールを降りた後、馬運車に載せられて、レーンズエンドファーム・オークリースタッド(レキシントン近郊・ミッドウエイ)に移動し、同ファームに到着し馬運車を降り、繫殖牝馬厩舎に入りました。

 

信念という意味のイギリス語に由来する、ビリーヴは、レーンズエンドファーム・オークリースタッドで着地検査を受けた後、同ファームの繫殖牝馬厩舎に移動し、入厩しました。

 

2004年から、ビリーヴは、繁殖牝馬として繋養生活を開始しました。

2005年ビリーヴは、初の産駒・ビリーヴの2005を出産しました。

その後・日本に輸入されて、栗東・松元茂樹厩舎に入厩、FA

RIDAT(ファリダット=ダイヤモンド(宝石)・アラビア語)の競争名で登録され、2007年メイクデビューで1着となり、母となった、ビリーヴ産駒の初勝利を挙げました。

以後・2016年までに、一時・休業の時もありましたが、多くのビリーヴ産駒の仔馬を、生産しては、日本・アメリカ 両国の競馬で活躍しました。

(いずれも、株式会社・ノースヒルズ(北海道・新冠郡・新冠町)の名義で生産されました。)

ビリーヴの産駒では、直仔で、日本の中央競馬で活躍する、FIDUCIA=フィドゥーシア(イタリア語で信頼(イギリス語読みでは、CONFIDENCE=コンフィデンス)という意味・父・メダグリアオーロ(金メダルという意味。) )・ELISHEVA=エリシェヴァ(へブライ語で、わが神はわが誓いという意味・父・スマートストライク)の2頭が、栗東の松元茂樹・角田晃一 両厩舎に所属し現在も競走馬として活躍中です。

 

一昨年・ビリーヴは、キティンズジョイとの間に、ビリーヴの2015を出産し、昨年日本へ輸出され、初来日しています、その後 スイス・アルプスの名峰「アイガー」の絶壁の通称名で、フランス語で武装警察官・一般警察業務を行う国家護憲兵を意味する、ジャンダルム(GENDARME) という競走馬名で命名されて、新規登録されました、株式会社ノースヒルズの所有馬であり、栗東・池江泰寿厩舎と預託契約をかわしていて入厩されており、今後の活躍が期待されております。

1998年4月26日・北海道・勇払郡・鵡川町(現・むかわ町)の上水牧場でグレートクリスティーヌの1998として生産されて以来、19年間生きて来た、牝馬のサラブレッド・ビリーヴ(BELIEVE)、いよいよ4月26日(日本時間・4月27日)で、牝・19歳のお誕生日を迎える、スプリントチャンピオンホース・ビリーヴ、2016年の配合種牡馬は、2015年に引き続いて、キティンズジョイとなっており、そろそろ、お産が始まる様で、牝・19歳のお誕生日を迎える、BELIEVE=ビリーヴの繁殖牝馬としてのさらなる活躍を期待したいと想い、願っております。

ビリーヴ、牝・19歳のお誕生日おめでとうございます、繁殖牝馬としてさらなるいい仔馬を産んで行ってね。

 

BELIEVE「ヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルルル、フ~。」

 

 

 

 

 

 

 

 

SUNDAY BREAK サンデーブレイク 内臓疾患のため、牡・18歳で死去する。

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(2017年3月12日(日本時間・3月13日)・内臓疾患で死去した、フォーティーナイナーとキャットクイルの仔・サンデーブレイク 写真は、種牡馬として、Haras  de Lion(リオン牧場)で繋養生活を送っていた、在りし日の、SUNDAY BREAK サンデーブレイク 毛色・鹿毛・当時 牡・17歳。)

フォーティーナイナーと、キャットクイルの仔で、アメリカ合衆国で競走馬として活躍し、その後・アメリカ合衆国で種牡馬として繋養生活を送り、フランス共和国でも種牡馬として活躍した、日本産の男馬・サンデーブレイク(SUNDAY BREAK=日曜日の休息・英 毛色・鹿毛)が、3月12日(日本時間・3月13日) 種牡馬として繋養生活を送っていた、フランス・バルボルディエール牧場(Haras Balbordhiel)で、内臓疾患の為、牡・18歳で死亡しているのを、同牧場の人が見つけました。

1999年4月19日に、キャットクイルの1999として生まれたサンデーブレイクは、北海道・新冠新冠郡・新冠町の(有)ノースヒルズマネジメント(現・株式会社 ノースヒルズ)生産の、鹿毛のサラブレッド、それがサンデーブレイクです。

当時・有限会社だった、ノースヒルズマネジメント(現・株式会社 ノースヒルズ)代表取締役・前田幸治氏(株式会社アイテック 代表取締役社長)の個人所有馬として、ほとんどの同場の生産出身馬は日本中央競馬会の美浦・栗東 両トレー二ングセンターなどに送られて競走馬デビューをして行く中、サンデーブレイクは、アメリカ・ニールドライスデール調教師と預託契約をかわし、アメリカで競争生活を送ることになり、1歳で、日本を離れ、アメリカ・カリフォルニア州・ハリウッドパーク競馬場へ渡航されたのです。

サンデーブレイクは、牡・2歳の時の、2001年11月・ハリウッドパーク競馬場でのメイドン・スペシャル・ウェイトで初出走、2002年・牡・3歳の時のメイドン・スペシャル・ウエイトでで1着となり、デビュー3戦目で待望の初勝利を果たしました。

サンデーブレイクは、同じ、アメリカ・サンタアニタ・アケダクト 両競馬場で行われた、アローワンス(一般競争戦)で連勝を挙げた他、3着が5回(内・2回はベルモントステークスなどの重賞競走)で挙げるなど、13戦4勝の成績を残しました。

2002年5月25日(日本時間・5月26日)に、ベルモントパーク競馬場行われた、ピーターパンステークス(G2)に出走した、サンデーブレイクは、2着のパズルメント以下を抑えてWIN❕ 北海道・新冠生まれのサンデーブレイクは、大きい雄叫びで勝利を喜びました。

その後、2003年7月4日(日本時間・7月5日)にデビュー地のハリウッドパーク競馬場で行われた、アメリカンハンデ・4着を最後に惜しくも現役を引退した、サンデーブレイクは、翌年の2004年から、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクの、Gainesway Farm(ゲインズウェイファーム)で、種牡馬として繋養生活を開始し、ネヴァーオンサンデーなど、多くのレース優勝馬を輩出、ケンタッキー州で最も種付ける馬になりましたが、2006年には、お隣のウォルマックファームに移動しここでも、繋養生活を送りました。

その後・2007年6月には、サンデーサイレンスを父に、トリッキーコードを母に持つ、同じ日本産のサラブレッド・HAT TRICK(ハットトリック・1試合で1選手が3得点以上を挙げること・英 サッカー用語 現在は、お隣のゲインズウェイファームで繋養生活中。)が、シャトル種牡馬として、日本から繋養生活を送る為輸入され、2008年から供用を開始すると、サンデーブレイクは、予備的な種牡馬になり、2010年には、さらなる種牡馬生活を求めて、新天地・フランス共和国へ渡航、2000年の秋・1歳の時にやって来て以来、長く生活を送った、アメリカ合衆国を後にしました。

2011年から種牡馬生活とはいえ、フランス共和国で繋養生活を開始した、サンデーブレイクは、最初は、グランカン牧場で繋養生活を送り、2013年からは、ラ・エ・ヌーヴ牧場で繋養され、2014年からは、Haras de Lion(リオン牧場)に移動し繋養されたが、怪我の為ほとんどは種付けが出来なかった様で、2017年には、バルボリディエ―ル牧場に移動していて、今年度から2018年度までの種牡馬シーズンでの活躍が期待された矢先、内臓疾患という病気を発症していて、療養していましたが、3月12日(日本時間・3月13日)・牡 18歳で死去したとの事です。

ネヴァーオンサンデーなど、フランス競馬で活躍したサラブレッドを輩出するなど、アメリカ合衆国・フランス共和国の 両国で競走馬・種牡馬として活躍した、サンデーブレイク(SUNDAY BREAK=日曜日の休息・英)の、ご冥福をお祈りしたいと想い、願っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

VODKA IN IRELAND GILTOWN 2016~2017

VODKA「ヒュヒュヒュ~ン。」

VODKA「ブルルルルルルルル。」

2016年も終わり、2017年も始まった、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンのアガ・カーン・スタッド・ギルタウン、そこからさらに奥に入った、所にあるアガ・カーン・スタッド・シャーリーマウントに移動した、女傑・ウオッカは冬ごもりでの生活をしました。

酒の1種である蒸留酒の名前を授かった、伝説の少女 女傑・ウオッカも、2010年から、繁殖牝馬として繋養生活を送っていて、2016年度は、2014年度以来、久々に、世界最強馬・フランケルとの交配に成功し、今か今かとお産を始まるのを、待っている所です。

ロシア語でヴォートカとも呼ぶ、ウオッカは2010年3月16日(日本時間・3月17日)に、遠征先のドバイ・メイダン競馬場から、イギリス・ニューマーケット・サウフィールズステーブル経由で、アガ・カーン・スタッド・ギルタウンに繁殖牝馬としてやってきて、それまでに、シーザスターズとの間に仔馬を生産しました。

そのうちの1頭・タニノアーバンシーが、現役競走馬として、母である、女傑・ウオッカが現役時代に在厩した、栗東・角居勝彦厩舎に在厩し、現在も競走馬として活躍中です。

2015年には、世界最強馬・フランケルとの間にVODKA2015(通称・ウオンケル)を出産したほか、2016年には、インヴィンシヴルスピリット(日本でも、イッテツの父としても知られている、アイリッシュナショナルスタッド・繋養種牡馬。)との間にも、VODKA2016を無事に出産しました。

女傑・ウオッカは、2017年4月4日(日本時間・4月5日)に、牝・13歳の誕生日を迎えました。

タニノギムレットとタニノシスターの仔で、26戦10勝の成績を残していて、年度代表馬にも2回選出され受賞した、女傑・ウオッカは、今月・お産が待ち構えているので、無事に出産できるのか、期待したいと想い、願っております。

HATTRICK GELD16 Birthday!

Horse_Hat_Trick-_3big-001Gainesway Farm HAT TRICK

 

HATTRICK「ヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルルル。」

HATTRICK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

HATTRICK「パカッ。」

HATTRICK「ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン。」

HATTRICK「ブルルルルルルルル。」

 

2001年4月26日生まれ・日本産馬のHATTRICK(ハットトリック=1試合で1選手が3得点以上を挙げることの意味・サッカー用語)も、16歳の誕生日を迎えます。

2007年6月・種牡馬として繋養生活を送る為、アメリカに輸入されたハットトリックは、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクのウォルマックファームを拠点に繋養生活を開始し、オーストラリア・アルゼンチンでも繋養生活を半年間こなして来ました。

2011年11月中旬・牡10歳の時に、ハットトリックは、現在の繋養先・ゲインㇲウェイファームに移動し、2012年~2013年の種牡馬シーズンから繋養生活を送っております。

昨年・ハットトリックは、生誕15周年を迎えた記念の年の節目を迎えた所で、今後の種牡馬としての活躍を期待したいと想い、願うところです。

2017年2月のサラ系3歳未勝利戦(京都競馬場)で、2014年の産駒の1頭・GOLDHAT(ゴールドハット・合同会社小林英一ホールディングスの所有馬)が、2着以下を抑えて、デビュー2戦目で初勝利、父・HATTRICK(ハットトリック)産駒の日本競馬初勝利を果たしました。

HATTRICK(ハットトリック)産駒は、毎年・1~2頭のペースで日本に輸入されていますが、日本でのHATTRICK(ハットトリック)産駒馬の勝利は、GOLDHAT(ゴールドハット)が、第1号となりました。

 

今年のHATTRICK(ハットトリック)の種付け料は、5000万ドルと落ち込んでいますが、牡・16歳になる、2017年~2018年の種牡馬シーズンも、さらにいい大物産駒が現れるのか、HATTRICK(ハットトリック)の米国繋養種牡馬としてのさらなる活躍を、期待したいと想い、願っております。

 

マイラ―チャンピオンホース・ハットトリック、牡・16歳のお誕生日おめでとうございます。

 

今後共、現役種牡馬としてさらなる産駒を産んて言ってほしいと想い願っております。

女傑・ウオッカ(VODKA) 牝・13歳の誕生日を迎えた、伝説の少女。

VODKA AGA KHAN STUD GILLTOWN(24・アガ・カーン・スタッド・ギルタウンの、ウオッカ)(アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで、繁殖牝馬として繋養生活を送る、女傑・ウオッカ (VODKA) )

ウオッカは、タニノギムレットとタニノシスターの仔。

すっぴんでかわいい鹿毛の馬、それが、女傑・ウオッカ。

VODKA「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

 

アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウン。

 

ここにアガ・カーンスタッド・ギルタウンがあります。

 

ここの繁殖牝馬厩舎には、すっぴんでかわいい鹿毛の馬、。女傑・ウオッカが、2010年の4月から繋養生活をしております。

既に、2016年の3月5日には、インヴィンシヴルスピリットとの間に種付けを行って受胎し、成功した、VODKA2016が生まれた後であり、同年の6月には、世界最強馬・フランケルとの間に種付け交配を行い、受胎して成功していて、そろそろお産を待っている所です。

VODKA「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

VODKA「ブルルルルルルルル。」

VODKA「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ウオッカは、鋭い叫びでいななきました。

VODKA「バシャ~~~!」

ウオッカは大きいおしっこを出していました。

ウオッカは、かわいい鹿毛の女の子の馬です。

VODKA「ヒュヒュヒュ~ン。」

ウオッカは、大きい声でいななきました。

VODKA「ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン。」

ウオッカは、かわいい伝説の少女、それが、女傑・ウオッカです。

 

かわいい伝説の少女、女傑・ウオッカは、現役当時・栗東トレーニングセンターの、角居勝彦厩舎に所属し、2010年3月18日に登録抹消されるまで、26戦10勝の成績を残した、牝馬のサラブレッドです。

この間・年度代表馬にも2回選出されたり、特別賞にも1回選出された、最強牝馬でしたから、大した物です。

2011年には、顕彰馬にも選出されております。

妹で、H.H・モハメド殿下の所有馬でもあった、セレブリティ(有名人)も、繁殖牝馬として活躍しております。

2017年4月4日(日本時間・4月5日)・女傑・ウオッカは、牝・13歳の誕生日を迎えました。

2010年4月から、繁殖牝馬としてアイルランドで繋養生活を送っている、女傑・ウオッカは、既に、初の産駒勝利馬・タニノアーバンシーなどを輩出しておりますが、その間・いろいろ出来事を経験しました。

それは、女傑・ウオッカを生産した、北海道・日高郡・新ひだか町のカントリー牧場が、馬主で代表の谷水 雄三氏が高齢により、競走馬自家生産事業が困難になったことから、2012年3月31日で、昭和38年(1963年)4月の開設以来、48年間の牧場経営に終止符を打って解散・閉鎖された他、2014年7月には、女傑・ウオッカの母・タニノシスターが老衰の為、牝・20歳(人間で例えると、60歳~70歳前後)で死亡したとこことです。

2015年には、世界最強馬・フランケルとの間に生まれた、VODKA2015(通称・ウオンケル君)も、2017年には日本で競走馬デビューするとの事です、その為・現在 吉澤ステーブルで、競走馬の訓練中です。

今年の4月4日(日本時間・4月5日)で牝・13歳の誕生日を迎えた、女傑・ウオッカは、現在・アイルランドで繁殖牝馬として生活中で、そろそろお産の頃を迎えるとの事であり、無事に産んでくれるのか、期待したいと想い、練っております。

 

伝説の少女、女傑・ウオッカ(VODKA) 牝・13歳の誕生日、おめでとう、繁殖牝馬として、いい産駒を産んで行ってね!

サムシング SOMETHING(7 新天地・アメリカ・ケンタッキー州での繋養生活。)

10歳まで、門別の牧場で繋養生活を送った、サラブレッドのサムシング(SOMETHING イギリス語で、あるもの・何かという意味・牡・毛色・鹿毛)が、長い渡航の末・アメリカ・ケンタッキー州のブルーグラス空港に着陸、ストールを降りると同時に、ヘルメットを外し、馬運車に載せられ、レーヴェイングファームに移動し、無事に到着しました。

日本での繋養生活時代に比べて、牧草がアルカリ性の高いものになっていて戸惑うことも予想されるのですが、海外遠征にも慣れているので、いい繋養生活を送れるそうです。

サムシングも着地検査を受けた後、種牡馬厩舎に入厩しました。

ジェイソン・アーヴィング氏(以下・ジェイソン)「SOMETHING WELCOM TO REVEING FARMS」(ようこそ、レーヴェイングファームへ。)

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

ジェイソン「YES、SOMETHING。」

サムシングは、オーナーブリーダーのジェイソン・アーヴィング氏の歓迎を受けた後、「SOMETHING(サムシング)」の馬房で疲れを癒しては、過ごしました。

革製のトウラクには、[SOMETHING(JPN)]が付けられていました。

サムシングは、レーヴェイングファームでのお披露目会に参加し、ケンタッキーでのブリーダーの人気を集めました。

牡・11歳になった、サムシングは、新天地・アメリカ・ケンタッキー州での繋養生活を開始しました。

SOMETHING「ブルルルルルルルル。」

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

SOMETHING「ヒヒヒヒ~ン。」

サムシングは、大きい雄叫びでいなないてやりました。

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

SOMETHING「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

サムシングはケンタッキーの大地を大きく蹴って走ってやりました。

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒ~ン。」

SOMETHING「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

SOMETHING「パカッ。」

SOMETHING「ブルルルルルルルル、ブルルルルルルルル。」

サムシングは大きい鼻息を鳴らしてやりました。

サムシングとは、イギリス語で、あるもの・何かという意味ですが、種牡馬になったとはいえアメリカに来たのです。

その後も、アメリカ・ケンタッキー州ミッドウエイのレーヴェイングファームにて、サムシングは種牡馬として繋養生活を送りだしていったとの事です。

(終)