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HAT TRICK=ハットトリック Gainesway Farm 2014(2)

HAT TRICK(3)Gainesway Farm HAT TRICK

その後、安田記念にむけての調整中だった矢先、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)など、海外の牧場から、南アフリカとアメリカを半年ごとに行き来する、シャトル種牡馬として繋養生活を送れるよう、種牡馬としてスタッドインしてほしいという要請のオファーが、馬主のキャロットファームにあり、これに対し、キャロットファームもそれに応じる事になり、関係者と、ハットトリックの今後の対応について協議した結果、種牡馬として繋養生活を送る事に決まり、2007年5月8日、ハットトリックの現役引退を発表されました。

サンデーサイレンスを父に、トリッキーコードを母に持つ、チャンピオンマイラーホース・ハットトリックは、2007年5月10日付で競走馬登録を抹消され、同時に馬運車に乗せられ、栗東トレーニングセンターを出発し、出国検疫検査を受けるため、すでに閉鎖された、山元トレーニングセンターに移動し、ここで検疫検査を受けました。

そして、5月27日・山元トレーニングセンターを出発した、ハットトリックは空港でストールに乗せられ、飛行機に積み込まれました。

ハットトリックは飛行機で、繋養地・アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクににむけて、空港を離れ、ニ度と戻る事の無い日本を後にしました。
(その3へ。)

SUNDAY BREAK サンデーブレイク 内臓疾患のため、牡・18歳で死去する。

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(2017年3月12日(日本時間・3月13日)・内臓疾患で死去した、フォーティーナイナーとキャットクイルの仔・サンデーブレイク 写真は、種牡馬として、Haras  de Lion(リオン牧場)で繋養生活を送っていた、在りし日の、SUNDAY BREAK サンデーブレイク 毛色・鹿毛・当時 牡・17歳。)

フォーティーナイナーと、キャットクイルの仔で、アメリカ合衆国で競走馬として活躍し、その後・アメリカ合衆国で種牡馬として繋養生活を送り、フランス共和国でも種牡馬として活躍した、日本産の男馬・サンデーブレイク(SUNDAY BREAK=日曜日の休息・英 毛色・鹿毛)が、3月12日(日本時間・3月13日) 種牡馬として繋養生活を送っていた、フランス・バルボルディエール牧場(Haras Balbordhiel)で、内臓疾患の為、牡・18歳で死亡しているのを、同牧場の人が見つけました。

1999年4月19日に、キャットクイルの1999として生まれたサンデーブレイクは、北海道・新冠新冠郡・新冠町の(有)ノースヒルズマネジメント(現・株式会社 ノースヒルズ)生産の、鹿毛のサラブレッド、それがサンデーブレイクです。

当時・有限会社だった、ノースヒルズマネジメント(現・株式会社 ノースヒルズ)代表取締役・前田幸治氏(株式会社アイテック 代表取締役社長)の個人所有馬として、ほとんどの同場の生産出身馬は日本中央競馬会の美浦・栗東 両トレー二ングセンターなどに送られて競走馬デビューをして行く中、サンデーブレイクは、アメリカ・ニールドライスデール調教師と預託契約をかわし、アメリカで競争生活を送ることになり、1歳で、日本を離れ、アメリカ・カリフォルニア州・ハリウッドパーク競馬場へ渡航されたのです。

サンデーブレイクは、牡・2歳の時の、2001年11月・ハリウッドパーク競馬場でのメイドン・スペシャル・ウェイトで初出走、2002年・牡・3歳の時のメイドン・スペシャル・ウエイトでで1着となり、デビュー3戦目で待望の初勝利を果たしました。

サンデーブレイクは、同じ、アメリカ・サンタアニタ・アケダクト 両競馬場で行われた、アローワンス(一般競争戦)で連勝を挙げた他、3着が5回(内・2回はベルモントステークスなどの重賞競走)で挙げるなど、13戦4勝の成績を残しました。

2002年5月25日(日本時間・5月26日)に、ベルモントパーク競馬場行われた、ピーターパンステークス(G2)に出走した、サンデーブレイクは、2着のパズルメント以下を抑えてWIN❕ 北海道・新冠生まれのサンデーブレイクは、大きい雄叫びで勝利を喜びました。

その後、2003年7月4日(日本時間・7月5日)にデビュー地のハリウッドパーク競馬場で行われた、アメリカンハンデ・4着を最後に惜しくも現役を引退した、サンデーブレイクは、翌年の2004年から、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクの、Gainesway Farm(ゲインズウェイファーム)で、種牡馬として繋養生活を開始し、ネヴァーオンサンデーなど、多くのレース優勝馬を輩出、ケンタッキー州で最も種付ける馬になりましたが、2006年には、お隣のウォルマックファームに移動しここでも、繋養生活を送りました。

その後・2007年6月には、サンデーサイレンスを父に、トリッキーコードを母に持つ、同じ日本産のサラブレッド・HAT TRICK(ハットトリック・1試合で1選手が3得点以上を挙げること・英 サッカー用語 現在は、お隣のゲインズウェイファームで繋養生活中。)が、シャトル種牡馬として、日本から繋養生活を送る為輸入され、2008年から供用を開始すると、サンデーブレイクは、予備的な種牡馬になり、2010年には、さらなる種牡馬生活を求めて、新天地・フランス共和国へ渡航、2000年の秋・1歳の時にやって来て以来、長く生活を送った、アメリカ合衆国を後にしました。

2011年から種牡馬生活とはいえ、フランス共和国で繋養生活を開始した、サンデーブレイクは、最初は、グランカン牧場で繋養生活を送り、2013年からは、ラ・エ・ヌーヴ牧場で繋養され、2014年からは、Haras de Lion(リオン牧場)に移動し繋養されたが、怪我の為ほとんどは種付けが出来なかった様で、2017年には、バルボリディエ―ル牧場に移動していて、今年度から2018年度までの種牡馬シーズンでの活躍が期待された矢先、内臓疾患という病気を発症していて、療養していましたが、3月12日(日本時間・3月13日)・牡 18歳で死去したとの事です。

ネヴァーオンサンデーなど、フランス競馬で活躍したサラブレッドを輩出するなど、アメリカ合衆国・フランス共和国の 両国で競走馬・種牡馬として活躍した、サンデーブレイク(SUNDAY BREAK=日曜日の休息・英)の、ご冥福をお祈りしたいと想い、願っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

VODKA IN IRELAND GILTOWN 2016~2017

VODKA「ヒュヒュヒュ~ン。」

VODKA「ブルルルルルルルル。」

2016年も終わり、2017年も始まった、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンのアガ・カーン・スタッド・ギルタウン、そこからさらに奥に入った、所にあるアガ・カーン・スタッド・シャーリーマウントに移動した、女傑・ウオッカは冬ごもりでの生活をしました。

酒の1種である蒸留酒の名前を授かった、伝説の少女 女傑・ウオッカも、2010年から、繁殖牝馬として繋養生活を送っていて、2016年度は、2014年度以来、久々に、世界最強馬・フランケルとの交配に成功し、今か今かとお産を始まるのを、待っている所です。

ロシア語でヴォートカとも呼ぶ、ウオッカは2010年3月16日(日本時間・3月17日)に、遠征先のドバイ・メイダン競馬場から、イギリス・ニューマーケット・サウフィールズステーブル経由で、アガ・カーン・スタッド・ギルタウンに繁殖牝馬としてやってきて、それまでに、シーザスターズとの間に仔馬を生産しました。

そのうちの1頭・タニノアーバンシーが、現役競走馬として、母である、女傑・ウオッカが現役時代に在厩した、栗東・角居勝彦厩舎に在厩し、現在も競走馬として活躍中です。

2015年には、世界最強馬・フランケルとの間にVODKA2015(通称・ウオンケル)を出産したほか、2016年には、インヴィンシヴルスピリット(日本でも、イッテツの父としても知られている、アイリッシュナショナルスタッド・繋養種牡馬。)との間にも、VODKA2016を無事に出産しました。

女傑・ウオッカは、2017年4月4日(日本時間・4月5日)に、牝・13歳の誕生日を迎えました。

タニノギムレットとタニノシスターの仔で、26戦10勝の成績を残していて、年度代表馬にも2回選出され受賞した、女傑・ウオッカは、今月・お産が待ち構えているので、無事に出産できるのか、期待したいと想い、願っております。

HATTRICK GELD16 Birthday!

Horse_Hat_Trick-_3big-001Gainesway Farm HAT TRICK

 

HATTRICK「ヒュヒュヒュ~ン、ブルルルルルルルル。」

HATTRICK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

HATTRICK「パカッ。」

HATTRICK「ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン。」

HATTRICK「ブルルルルルルルル。」

 

2001年4月26日生まれ・日本産馬のHATTRICK(ハットトリック=1試合で1選手が3得点以上を挙げることの意味・サッカー用語)も、16歳の誕生日を迎えます。

2007年6月・種牡馬として繋養生活を送る為、アメリカに輸入されたハットトリックは、ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクのウォルマックファームを拠点に繋養生活を開始し、オーストラリア・アルゼンチンでも繋養生活を半年間こなして来ました。

2011年11月中旬・牡10歳の時に、ハットトリックは、現在の繋養先・ゲインㇲウェイファームに移動し、2012年~2013年の種牡馬シーズンから繋養生活を送っております。

昨年・ハットトリックは、生誕15周年を迎えた記念の年の節目を迎えた所で、今後の種牡馬としての活躍を期待したいと想い、願うところです。

2017年2月のサラ系3歳未勝利戦(京都競馬場)で、2014年の産駒の1頭・GOLDHAT(ゴールドハット・合同会社小林英一ホールディングスの所有馬)が、2着以下を抑えて、デビュー2戦目で初勝利、父・HATTRICK(ハットトリック)産駒の日本競馬初勝利を果たしました。

HATTRICK(ハットトリック)産駒は、毎年・1~2頭のペースで日本に輸入されていますが、日本でのHATTRICK(ハットトリック)産駒馬の勝利は、GOLDHAT(ゴールドハット)が、第1号となりました。

 

今年のHATTRICK(ハットトリック)の種付け料は、5000万ドルと落ち込んでいますが、牡・16歳になる、2017年~2018年の種牡馬シーズンも、さらにいい大物産駒が現れるのか、HATTRICK(ハットトリック)の米国繋養種牡馬としてのさらなる活躍を、期待したいと想い、願っております。

 

マイラ―チャンピオンホース・ハットトリック、牡・16歳のお誕生日おめでとうございます。

 

今後共、現役種牡馬としてさらなる産駒を産んて言ってほしいと想い願っております。

女傑・ウオッカ(VODKA) 牝・13歳の誕生日を迎えた、伝説の少女。

VODKA AGA KHAN STUD GILLTOWN(24・アガ・カーン・スタッド・ギルタウンの、ウオッカ)(アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで、繁殖牝馬として繋養生活を送る、女傑・ウオッカ (VODKA) )

ウオッカは、タニノギムレットとタニノシスターの仔。

すっぴんでかわいい鹿毛の馬、それが、女傑・ウオッカ。

VODKA「ヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

 

アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウン。

 

ここにアガ・カーンスタッド・ギルタウンがあります。

 

ここの繁殖牝馬厩舎には、すっぴんでかわいい鹿毛の馬、。女傑・ウオッカが、2010年の4月から繋養生活をしております。

既に、2016年の3月5日には、インヴィンシヴルスピリットとの間に種付けを行って受胎し、成功した、VODKA2016が生まれた後であり、同年の6月には、世界最強馬・フランケルとの間に種付け交配を行い、受胎して成功していて、そろそろお産を待っている所です。

VODKA「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

VODKA「ブルルルルルルルル。」

VODKA「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ウオッカは、鋭い叫びでいななきました。

VODKA「バシャ~~~!」

ウオッカは大きいおしっこを出していました。

ウオッカは、かわいい鹿毛の女の子の馬です。

VODKA「ヒュヒュヒュ~ン。」

ウオッカは、大きい声でいななきました。

VODKA「ヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン、ヒュヒュヒュ~ン。」

ウオッカは、かわいい伝説の少女、それが、女傑・ウオッカです。

 

かわいい伝説の少女、女傑・ウオッカは、現役当時・栗東トレーニングセンターの、角居勝彦厩舎に所属し、2010年3月18日に登録抹消されるまで、26戦10勝の成績を残した、牝馬のサラブレッドです。

この間・年度代表馬にも2回選出されたり、特別賞にも1回選出された、最強牝馬でしたから、大した物です。

2011年には、顕彰馬にも選出されております。

妹で、H.H・モハメド殿下の所有馬でもあった、セレブリティ(有名人)も、繁殖牝馬として活躍しております。

2017年4月4日(日本時間・4月5日)・女傑・ウオッカは、牝・13歳の誕生日を迎えました。

2010年4月から、繁殖牝馬としてアイルランドで繋養生活を送っている、女傑・ウオッカは、既に、初の産駒勝利馬・タニノアーバンシーなどを輩出しておりますが、その間・いろいろ出来事を経験しました。

それは、女傑・ウオッカを生産した、北海道・日高郡・新ひだか町のカントリー牧場が、馬主で代表の谷水 雄三氏が高齢により、競走馬自家生産事業が困難になったことから、2012年3月31日で、昭和38年(1963年)4月の開設以来、48年間の牧場経営に終止符を打って解散・閉鎖された他、2014年7月には、女傑・ウオッカの母・タニノシスターが老衰の為、牝・20歳(人間で例えると、60歳~70歳前後)で死亡したとこことです。

2015年には、世界最強馬・フランケルとの間に生まれた、VODKA2015(通称・ウオンケル君)も、2017年には日本で競走馬デビューするとの事です、その為・現在 吉澤ステーブルで、競走馬の訓練中です。

今年の4月4日(日本時間・4月5日)で牝・13歳の誕生日を迎えた、女傑・ウオッカは、現在・アイルランドで繁殖牝馬として生活中で、そろそろお産の頃を迎えるとの事であり、無事に産んでくれるのか、期待したいと想い、練っております。

 

伝説の少女、女傑・ウオッカ(VODKA) 牝・13歳の誕生日、おめでとう、繁殖牝馬として、いい産駒を産んで行ってね!

サムシング SOMETHING(7 新天地・アメリカ・ケンタッキー州での繋養生活。)

10歳まで、門別の牧場で繋養生活を送った、サラブレッドのサムシング(SOMETHING イギリス語で、あるもの・何かという意味・牡・毛色・鹿毛)が、長い渡航の末・アメリカ・ケンタッキー州のブルーグラス空港に着陸、ストールを降りると同時に、ヘルメットを外し、馬運車に載せられ、レーヴェイングファームに移動し、無事に到着しました。

日本での繋養生活時代に比べて、牧草がアルカリ性の高いものになっていて戸惑うことも予想されるのですが、海外遠征にも慣れているので、いい繋養生活を送れるそうです。

サムシングも着地検査を受けた後、種牡馬厩舎に入厩しました。

ジェイソン・アーヴィング氏(以下・ジェイソン)「SOMETHING WELCOM TO REVEING FARMS」(ようこそ、レーヴェイングファームへ。)

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

ジェイソン「YES、SOMETHING。」

サムシングは、オーナーブリーダーのジェイソン・アーヴィング氏の歓迎を受けた後、「SOMETHING(サムシング)」の馬房で疲れを癒しては、過ごしました。

革製のトウラクには、[SOMETHING(JPN)]が付けられていました。

サムシングは、レーヴェイングファームでのお披露目会に参加し、ケンタッキーでのブリーダーの人気を集めました。

牡・11歳になった、サムシングは、新天地・アメリカ・ケンタッキー州での繋養生活を開始しました。

SOMETHING「ブルルルルルルルル。」

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

SOMETHING「ヒヒヒヒ~ン。」

サムシングは、大きい雄叫びでいなないてやりました。

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

SOMETHING「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

サムシングはケンタッキーの大地を大きく蹴って走ってやりました。

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒ~ン。」

SOMETHING「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

SOMETHING「パカッ。」

SOMETHING「ブルルルルルルルル、ブルルルルルルルル。」

サムシングは大きい鼻息を鳴らしてやりました。

サムシングとは、イギリス語で、あるもの・何かという意味ですが、種牡馬になったとはいえアメリカに来たのです。

その後も、アメリカ・ケンタッキー州ミッドウエイのレーヴェイングファームにて、サムシングは種牡馬として繋養生活を送りだしていったとの事です。

(終)

サムシング SOMETHING(6 引退 種牡馬などとして、第2の馬生へ。)

かわいい鹿毛の馬体の男馬である、サラブレッドのサムシング(SOMETHING=イギリス語であるもの・何かという意味 牡・5歳)は、イギリス遠征を終えて、ロンドンのヒースロー空港に移動、ストールごと、飛行機に積み込まれ、同空港発の飛行機で名残惜しいイギリスを後に、帰国の途に就き、渡航しました。

サムシングは、千葉県・成田市の新東京国際空港に無事着陸し、ストールごと、飛行機を降りました。

サムシングは、馬運車に載せられ、入国着地検査を受ける為、同・白井市(旧・印旛郡・白井町)の、競馬学校・国際厩舎に入厩、着地検査を受けました。

着地検査を無事に受検した、サムシングは、北海道・沙流郡・門別町(→日高町)・門別の牧場に入り、放牧休養に入りました。

馬主でもある、優貴くんも、イギリス遠征から、帰国の途に就き、牧場に戻って来ました。

翌日の牧場の放牧場では、休養中のサムシングが疲れを癒しておりました。

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

サムシングは、日高の空に、声高くいななきました。

SOMETHING「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

サムシングは、門別の牧草の大地を大きく蹴って走りました。

イギリス遠征から帰国した、サムシングも、疲れを癒しては、脚を蹴って走っていました。

SOMETHING「パカッ。」

SOMETHING「ブルルルルルルルル。」

優貴くんが運営する牧場に、電話がかかってきました。

 

調教師から、サムシングの引退式の日程が決まったのです。

10月の第3回の京都競馬場の開催日の休憩時間を使用して、サムシングの引退式を挙行することが決まったのです、同時に競走馬登録抹消することも決まりました。

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

SOMETHING「ウ~~~~~!」

SOMETHING「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

サムシングは、大きい💩(うんち)を落としていました。

SOMETHING「バシャ~~~!」

サムシングは、大きいおしっこ(尿)を出していました。

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

サムシングは大きく、声高いいななきで叫びました。

サムシングとは、イギリス語で、あるもの・何かという意味。

何かある競争があった時、先頭で制覇を成し遂げる馬になってほしいという願いが込めらている、鹿毛のサラブレッド、それがサムシングです。

SOMETHING「ヒヒ~ン、ブルルルルルルルル。」

 

10月下旬・サムシング(SOMETHING=イギリス語であるもの・何かという意味。)の引退式がデビュー地の京都競馬場で行われ、関係者が集まって行われました。

馬主の優貴くんが、「本日は、サムシングの引退式にお越しくださいましてありがとうございます。」と挨拶し、デビュー以来、長く活躍した、サムシングの活躍をねぎらっていました。

サムシングは同場の本馬場に入場し、出走レースのすべてを走ってやるなどとして、大きい脚で蹴っていました。

イギリス語であるもの・何かという意味の名前の通り、イギリス遠征にも成功し、制覇を成し遂げた、サムシングは、長い競争生活に終止符を打ち、ターフを去りました。

京都競馬場での引退式を終えて、栗東トレセンに戻った、サムシングも、明け6歳から、種牡馬となり、父・サムシングとして北海道・沙流郡・門別町(→日高町)・門別の、優貴くんが運営を手掛ける牧場で繋養生活を送るとの事で、長く在厩した厩舎を後に北海道へ第2の馬生に旅立ちました。

サムシング(SOMETHING)は、牡・6歳から門別の牧場で種牡馬となり、父・サムシング(SIR・SOMETHING)として、新種牡馬としての繋養生活を始めました。

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

SOMETHING「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

SOMETHING「パカッ。」

SOMETHING{ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

サムシングは、日高の空に、大きい雄たけびを鳴らしました。

種牡馬になってからのサムシングは、2~3頭の繁殖牝馬に種付けては、こなしていました。

サムシングが牡・7歳の時、サムシングの初年度産駒が日高各地の牧場で無事に生まれました。

中には、アメリカ・ケンタッキー州の繁殖牝馬牧場から種付けを依頼された、繁殖牝馬・1頭が含まれたようで、こちらも受胎して成功しました。

(サムシングと種付けした、繁殖牝馬は、翌年の3月に、繁殖牝馬の繋養先のアメリカ・ケンタッキー州の牧場で無事出産しました。)

サムシングも、日本繋養種牡馬として、牡・10歳まで門別の牧場で繋養生活を送りました。

優貴くんが運営する牧場の収入も、サムシングが種牡馬として活躍する様になってから、上昇するようになり、増収を記録したものの、支出が減益になりました。

牧草の種の購入が増加したのが原因で減益になっていました。

サムシングが、牡・8歳の時、サムシングの初年度産駒が、相次いで、中央・地方の競馬場でデビューするに至り、遂には初勝利馬も出たのです。

そして、サムシングのアメリカ・ケンタッキー州生産の初年度産駒が、アメリカ競馬にデビューして優勝、初勝利を挙げるまでになりました。

サムシングが、牡・10歳になった時、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・ミッドウエイにある、レーヴェイングファームの、オーナーブリーダー・ジェイソン・アーヴィング氏から、日本産の鹿毛馬である、サムシングが素晴らしい産駒を輩出していることは承知しているが、当ファームでも種牡馬のほとんどが加齢により、安楽死の処置がとられたりしていて不足しており、是非・日本産馬のサムシングをレーヴェイングファームの繋養種牡馬として受け入れていただきたいという要請のオファーが、優貴くんの運営する牧場にありました。

優貴くんも6歳の時に新種牡馬として、所有してきた、サムシングをどうするか、考えていました。

奥さんと協議して、話し合った結果、今後の為に新種牡馬として繋養してきた、サムシング(SOMETHING)を手放すことにしました。

6歳の時に、新種牡馬として繋養してきた、サムシングが種牡馬としてとはいえ、アメリカ・ケンタッキー州・ミッドウエイのレーヴェイングファーム(オーナーブリーダー・ジェイソン・アーヴィング氏)にお譲りすることが決まりました。

いよいよ、門別の牧場とお別れするときが、来ました。

優貴「サムシング、手放すのは残念で、寂しいが、元気でね。」

SOMETHING「ヒヒ~ン。」

SOMETHING「カポ、カポ、カポ。」

イギリス語であるもの・何かという意味のサムシングは、新天地・アメリカ・ケンタッキー州の、レーヴェイングファームでの繋養生活を送る為、門別種馬場に移動し、ここで出国検疫検査を受けました。

12月・門別種馬場を後に、馬運車で移動したサムシングは、ストールに積み替えられて、2回目の墜落事故防止用のヘルメットを着けて、ストールごと、飛行機に積み込まれ、新千歳空港発の飛行機で新東京国際空港に移動し、その後の飛行機に積み替えて離陸、名残惜しい日本を後にしました。

(7へ。)

 

 

 

 

サムシング SOMETHING(5 イギリス遠征)

牡・5歳(現在の馬齢では、4歳)になった、サムシングも、生まれて初めてのイギリス遠征となり、イギリス・ニューマーケットのモールトン・パドックスの調教場のJ・ジェラーソン厩舎に入厩した、サムシング。

あるもの・何かという意味のイギリス語が馬名の由来になっている、サムシング(SOMETHING)にとって、イギリス遠征は初体験のレースになりました。

優貴「おはよう、サムシング。」

SOMETHING「ブルルルルルルルル。」

優貴「サムシング、ぼくは、出発前の検疫検査の間、調教師さんと、本馬の今後の対応について、協議してきたんだ。」

SOMETHING「ヒヒヒヒ~ン。」

優貴「その結果・来年は、牡・6歳(現在の馬齢で、牡・5歳)と高齢になる事と、年度代表馬にも選出された事と、牧場も2~3月からの種牡馬としての繋養生活による種付けシーズンに入ることと、帰国後の検疫期間の都合もあるから、このレースをもって引退することが決まっただんだよ。」

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

サムシングは、大きい鳴き声でいななきました。

日高山脈の大自然に抱かれて育てた、イギリス語であるもの・何かという意味である、鹿毛のサラブレッド・サムシング(SOMETHING)も、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスをもって、引退することが決まったのです。

サムシングのラストランレースとなった、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス、ゼッケン番号が、3番に決まりました。

いよいよ、レース当日・アスコット競馬場に到着した、サムシング。

イギリス語であるもの・何かという意味の、サムシングもこのレースでラストランとなるとの事で、はたしてイギリス生産・調教の馬にサムシングが挑戦し優勝してラストランレースを制覇することが出来るのか、パドックに入り、周回します。

 

サムシングの主戦騎乗騎手も、前日までに、飛行機で渡英していて、アスコット競馬場に来ていました。

本馬場入場に入り、ナンバースリー・サムシングがコールされると、サムシングは声高くいななきました。

SOMETHING「ヒヒ~ン、ブルルルルルルルル。」

サムシングは北海道・沙流郡・門別の大地が育てた、鹿毛の男馬ですが、このレースで

引退が決まったとの事で、最後の戦いが始まります。

返し馬をしては、しっかり走った、鹿毛の馬・サムシング、いよいよラストランになるレースのスタート地点に立ちました。

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスには、フルゲート11頭の予定が、8番がレース前になり出走を回避していて、10番が競争除外になったので、2頭が減って9頭での競争に代わってのレースとなったとの事です。

アスコット競馬場の横断幕には、「SOMETHING WELCOM TO ENGLAND」(サムシング、ようこそイギリスへ。)が掲げられていました。

サラブレッドのサムシング(SOMETHING=イギリス語で、あるもの・何かという意味 牡・5歳)にとって現役競走馬としての、最後の出走になるレースで、初めてのイギリス遠征レースとなる、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスの発走時刻がきて、ファンファーレが鳴り渡り、ゲートインを迎えました。

日本から招待遠征してきた、サムシングが3番ゲートに誘導を受け収まりました、果たして、サムシングは、イギリス語であるもの・何かという意味である馬名である通り、イギリス競馬で勝利をものにするのか、ゲートオープンを迎えるのです。

「ジリリリリリリン」

「END ROLL」

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスのスタートが切られて、サムシングもいいスタートを切り、先頭におどり出てレースを引っ張ります。

最終コーナーを回り直線コースで先頭を保ちながら、逃げ切り勝ちを狙います。

「SOMETHING、SOMETHING、JAPAN IS THOROUGUBREDHOSES」

「SOMETHING、SOMETHING。」

|SOMETHING、WIN!」

「ONE FINISH SOMETHING、JAPANIESHORSESWINNERS」

サムシングは、イギリス・アスコット競馬場でのレースを制覇し、ラストランでの有終の美を飾りました。

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

サムシングは、イギリス・アスコット競馬場の空に、大きく高い声でいななきました。

イギリス・アスコット競馬場でのキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスの実況は現地の場内アナンサーの他、チャンネルフォーなど、イギリスのテレビ局などが中継した他、日本からは、関西馬で年度代表馬にも選出された、サムシングが代表馬として招待されて出走することから、NHK・フジテレビジョン・関西テレビ・ニッポン放送・ラジオ大阪・ラジオたんぱ(現・ラジオNIKKEI)などの民間放送局などの報道機関が渡英していて取材に来ていました。

 

競馬専門紙も、RACING POSTの他、日本からは、競馬ブック(滋賀県・栗東市に本社を置く会社)がサムシングの取材の為、渡英していたようです。

優貴くんは、取材陣の質問に対し、「無理でも優勝させたかったが、それが逃げ切り勝ちで決めた。」と答えていました。

イギリス・アスコット競馬場でのレースで優勝した、サムシングは、ニューマーケット・モールトン・パドックスの、J・ジェラーソン厩舎に戻り、馬房に入りました。

優貴「おめでとう、サムシング。」

SOMETHING「ヒヒ~ン、ブルルルルルルルル。」

優貴「サムシング、イギリスに来て競馬に参戦して優勝できたね、サムシング。」

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

優貴「サムシング、大きくかわいい雄叫びでいななく馬ね、日本に戻っても元気に、休養していこうね、なあ、サムシング。」

SOMETHING「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

サムシングは、馬主の優貴くんに馬体を撫でてもらい、美しい鹿毛のサラブレッドの活躍をたたえていました。

サムシングは北海道・沙流郡・門別の牧草で育てた、かわいい鹿毛の男馬のサラブレッド、それが、サムシングです。

SOMETHING「ヒヒ~ン、ブルルルルルルルル。」

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